【温故知新】古来の知恵を日常生活に活かすvol.9・因果応報

温故知新

「因果応報」・いんがおうほう・

「因果」とは原因と結果のことで、「応報」は行ったことによって受ける報いです。
人の善悪の行いに応じて、それに見合った報いは必ず起こるものというのが因果応報の意味です。


善い行いをすれば良い報いがあり(善因善果)、悪い行いをすれば悪い報いがある(悪因悪果)という仏教の教えです。

「因縁果」による法則

世の中の出来事には原因()があって、様々な条件()が整った時に、結果()が生じます。
全ての物ごとは因縁で結ばれていて、この原因と結果の法則を仏教では「因縁果の道理」と呼びます。

植物は種だけでは実は成らず、土や日光・水・気温などの諸条件が揃って初めて発芽し花が咲いたり実がなったりしますよね。なかなか思うように結果が出ずに「実がならない」のは、まだ十分に縁が満ちてないということで機が熟していないだけなのです。
あせらずにコツコツと努力を続けていれば、必ず良きタイミングで転機がやってくるはずです。

人生はたくさんの「」で結ばれていて前世から定められた運命があったり、何かしらの繋がりやゆかりがあるものです。一人で生きていくことはできないので、人とのご縁というのはとても重要です。
どんな人とめぐり合うかによって人生は大きく左右されてきます。たとえすばらしい縁にめぐり会えたとしても、大切に育み結んでおかないとその縁は簡単にほどけてしまいます。

原因なしで起きる結果は無いので、種をまかずにいたら実も成りません。現在の自分の行動と未来に生じる結果は因果関係にあるのです。
一生懸命に取り組んだことは決して無駄にはならないので、諦めずにやり続けることが大事です。

輪廻する業の報い

報い」というのは善悪いずれについても起こり得ることで、努力が報われて吉報がもたらせられるのは嬉しいこと。しかし、もっぱら悪い結果が身にはね返るような時に使われることが多いようですね。
例えば悪行をすると”バチが当たる/ツケがまわる/後で痛い目に合う/自業自得/天罰覿面”などです。

では、因果応報の報いというのは「いつ・どのように」現れるのでしょうか?
この世で行ったことの報いがこの世で現れるとは限りません。自分が行ったことが現世の自分に返って来るのか、次の世か次の次の世なのかというのは誰にもわからないのです。
報いがいつやってくるのかは定かでないが、行ったことの結果は必ず現れるといわれています


先祖や前世の因縁の報いを自分が受けないといけないなんて、なんと理不尽なことか思います。しかしこれが世の常であって、人知を超えた存在に抗う事はできないのです。

では突然身にふりかかる不運な出来事を「自然の摂理」として天に任せるしかないのでしょうか。
私たちのできることは一体何でしょう?・・他人に思いやりを持ち誠実に自分の成すべきことをすれば自分自身も幸せがはね返ってくる。つまり、日々正しき行いをする(徳を積む)しかないようです。

目に見えぬ「人の波動」

この世の全てのものには、そのエネルギーが持つ周波数(波長)が存在するといいますが、人も行いによって放出するエネルギー波動があって常に変化をしています。
「人の行い」というのは、行為・行動だけでなく思考や発言など人から発する全てのことを指していて、他の人に悪意を持てば何かのカタチで自分に返って来るのです。

人の波動にはプラスの波動マイナスの波動があり、悪意や悪行の際に発するエネルギーはとても低い周波数(マイナスの波動)となります。
又、波動というのは同じ波動を引き寄せるといった性質も持ち合わせているので、悪い事が続けて起こったり波長の合う仲間が引き寄せ合ったりということが起こるのです。

この目には見えない「波動」は、その人が何かしたり考えたりする時の感情に影響されて発する「気」の様なものなので、自分自身で良い方向にコントロールすることが可能です。
マイナスの波動の要因となっている間違いに気付き悔い改めたとすれば、周波数も上がっていきます。良い波動を発することでマイナスのエネルギーが中和されるのです。

予期せぬ出来事に見舞われたり悩みや苦しみがあったら、幸不幸の起きる原因が必ずどこかにあるはずです。自分自身が「マイナスの波動」を発していなかったかどうかを振り返ってみることで、開運のキッカケが掴めるかもしれません。

善くも悪くも自分が行ったことは蓄積されていきます。いかなる結果も自分が過去に蒔いた種(前世も含め)なので、過去の行為の報いは自分が受けなければならないのです。
目の前にある現実は過去の結果で、現在行っていることは未来の運命を生み出しています。

「因果応報」というのは、人として良き道を歩めという戒めの意味の言葉であるようです。

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