本帰国を決断した苦しい胸の内
両親と共に20年間の海外生活。父を在宅介護で看取り、2022年に永久帰国しました。海外移住者が、日本へ本帰国することを「永久帰国」といって、コロナ以降はとても増えているそうです。世界中が混乱した”新型コロナ”は、誰も経験したことのない異常事態で、私も母親の介護をしながら必死だったのを覚えています。
国や地域によって大きな差があったかと思いますが、私たちが暮らしていたのは東南アジアの地方都市で、普段はのんびりとした田舎町です。
それゆえ不測の事態に患者への対応やワクチンの情報不足など、医療機関も混沌とした状態が続いていました。そして外出規制に加えて食料の確保も難しく、先の見えない不安な毎日。外国人ということで、支援物資もワクチンも当初は受けることができずにストレスは募る一方でした。
そんなさなか母の体調に異変が起き、病院で癌と診断されました。悩みに悩んだ末帰国を決意。母の体調と、入国規制が解除されるタイミングをみながらの帰国で大移動劇でした。

別れは突然やってきた
何も準備もできないままの突然の帰国後は、たくさんの手続きが待っていた。やっとゆっくり母の看護ができるようになって安堵したのも束の間、ほどなくして母を見送る日がやってきてしまった。こんなに早く”別れの日”がくるとは正直思ってはいなかった。思えば怒涛のごとく過ぎていった出来事の連続で、あとになって考えが及ばなかったことを悔やむばかり。
”他に選択の道はなかったのだろうか?”
”もっとこうしてあげれば良かった・・”
後悔と自責の念。そして、喪失感と孤独感に襲われる。
”いや、できることは十分やったはず”
”あの時は、あれが精一杯だった”
堂々巡りの自問自答のなか、葛藤の日々が続いていきました。
「ああ、このままじゃ、いけない。自分を取り戻さなくては・・」とにかく前に進みたいと思い、心理学やヨガ・瞑想を学んで、自分と向き合い続けた。そして時間をかけて自分を癒すことで、少しづつ心も落ち着いてきた。
今では、父と母を最期まで看取れたことを嬉しく思い「ありがとう」の気持ちで一杯です。
この先、何かでつまずきそうになったとして正解も抜け出し方もわからないけれど、自分を見失わずにいれば必ず時が解決してくれると信じている。
ひとりになってしまったので、これからはちゃんと自分のために生きよう。まずは、大きく深呼吸して。そして「あせらず・くさらず・あきらめず」と自分自身をなだめてやり過ごすすべも覚えた。

果たして今から日本になじめるのか?
やっと、ひとりの新生活をスタートした。・・ところが、私の知っている日本とは様子が違った。20年のブランク。日本は明らかに進化をしていた。(あ、完全に置いていかれたんだ~😢と、うなだれるのです)
スーパーやコンビニのキャッシュレス、宅配の日常化、タッチパネルでの注文やスマホの使い方などなど・・・。20年間一度も日本に帰国していないので、とにかくわからないことだらけ。逆カルチャーショックをくらった気分!それ位日本は変わっていたのです。
時が止まったように、長い間能天気で過ごしてきたのだから仕方がない。がしかし、ひるんでる暇はありません。一人たくましく、生きていかねばならないのです。この歳にして何もかも始めてずくしの私は、まるで「異邦人」なのでした。
まずはマイナンバー、スマホの入手、銀行口座の開設、スマホ教室・パソコン教室、健康チェックとやることが目白押し。
日本に帰ってきたというのにホッとする余裕もなく、錆びかけの頭と体にムチを打つ。とにかくインプットすることばかりで、どんどん新しい事が積み重なっていく。
”このポンコツな肉体が破裂してしまう日も、そう遠くはないだろう”と思えてきた。
そうだ!ブログをやってみたらどうだろう?と考えた
毎日たくさんのことに驚き、そしてボケた頭に叩き込む。入れるばかりでなくブログで出力すればバランスがとれるし、おひとりさま生活も寂しくないかもしれない。・・とはいえ、スマホもパソコンも、うまく使いこなせない私。その”ガラパゴス的アナログおばさん”が、無謀にもブログを始めるなんて、果たして出来るものかどうか?
人生でたくさんつまずいてきた私ですが、シニアの方々やちょっと立ち止まって心を癒したいという方となにか共有することがあれば、嬉しい限りです。
初心者マークのおばちゃんですが思いを込めて発信しますのでよろしくお願いいたします。みんながハッピーでありますように・・。


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