日本の進化に戸惑う!時代から取り残されて感じる違和感
日本を離れ海外に居住すると、あらためて日本の文化・慣習の素晴らしさを感じます。日本人らしいさりげない心遣いや情緒などにふれた時は、「日本人で良かったな~」とホッとした気分になります。
両親と共に東南アジアの田舎町に移住して、のんびりと暮らして数年後には現地で父を看取ることとなりました。そして、コロナ禍の続いていた2022年に母が癌を発症。パンデミックの影響で病院に行くことも困難な状況だったため、母と共に日本に帰国をしました。
20年ぶりとなる帰国には、不安と望郷の念が入り交じり飛行機が着陸した時は自然に涙がこぼれていました。その後、日本で母を見送ってからシニアのシングル生活が始まったというわけです。
しかし長い間、時が止まった様な生活を生活をしてきた私は日本の進化に驚くばかり。タイムマシーンにでも乗ってきたかと思うほど、まるでついていけないのです。自分が記憶している日本とは明らかに違っていたのです。”逆カルチャーショック”を、あちこちで受けてとても戸惑いました。
物事の変化は、ある程度は予測もしていたので慣れていくしかないでしょう。ただ、人の価値観の変化に関しては違和感を感じています。お店の店員さんや役所の職員の方などと接しても、どこかかみ合わずスッキリとしない。ただのジェネレーションギャップなら、年代や感性の違う人と交わらないのは当然なのかもしれないのですが・・。
異文化で揉まれ気付かぬうちに、テンションがヘンになっているのだろうか?明らかに自分と他者の間に大きな隔たりを感じるのです。なんだか日本人が「未知の人」みたいになってしまった気がします。(これは帰国者にありがちな感情らしいですね)
自らの意思で海を渡り、家族でそれなりに幸せに過ごしていたけれど、海外では外国人であることには変わりない。どこにいても自分の中身は100%日本人だと当たり前の様に思っていた。だから諸事情のよって再び日本で過ごすことになって、喜びを感じているのです。
ところが、自国に戻って自分のアイデンティティに自信が持てなくなるとは寂しいものです。まさに「異邦人」といった気分で居心地が良くありません。20年間のブランクを埋めて、現代社会に適応していくにはそれなりの時間が必要ということですね。

”優等生の国”日本のスゴイところ
海外に行ったら感じる方が多いと思いますが、日本という国は”真面目で色んなことがちゃんとしている国”だと痛感しますよね。
配達や修理の業者は約束の時間に来てくれるし、電車やバスもほぼ定刻通り。これは、世界が認める日本の誇るべき”キセキ的マジック”ですね。
ついこの間までは、業者の依頼をしても1時間や2時間ずれるなんて当たり前で、ヘタをしたら”待てど暮らせど来ないし連絡もない”という状況だったのです。「まだか、まだ来ぬか」とイライラしながら過ごして一日を棒に振る。それで、どうするか?まず怒るのは絶対にNG!(来てくれないと自分が困るからここはグッとガマン!逆ギレも怖いデス・・)前もって色んなパターンを想定しておいて、ひたすらプッシュする・とにかく来てもらうように”おびき寄せ作戦”など試行錯誤。
やっと来てくれたとしても、仕事っぷりをしっかりチェックしないといけない。ミスがあろうと謝らないし非は認めない。(でもこちらがミスをしたとしても”お互いさま”と許容してくれるので、おおらかというか?そのユルさが良かったり悪かったりです)
”お客様は神様”ではなく、あくまでも”人対人”で対等なんだということなんでしょう。とにかく安心して「おまかせしま~す」という訳にはいかないのです。その点、日本は丁重に職務を遂行してもらえる。余計な心配をする必要がなくて、とても楽ですよね。
毎日のことで感動するのは、断然”食べものが美味しい”ことです。味覚に合っているというのもさることながら、食材そのものが良い。素材を、心を込めて誠実に生産・管理し消費者に届ける実直な”職業意識”の賜物である。
食に関しての素晴らしさは勿論なんですが、何といっても一番は安全面でしょう。異国で我が身を守るため”安全確認”は必須です。「備えあれば憂いなし」で過剰なほどでも良いくらいだ。
鍵はちゃんとしたか、カバンの持ち方を確認、ヘンな人がいないかと回りを伺う。買い物も気が抜けない。品物に不具合はないか、計算間違いはないか、おつりは大丈夫か。特にお金のあつかい時は注意をする。ATMや両替所では現金を素早くしまって、足早に立ち去る。
・・などなど挙げたらキリがないほどだ。何が起こるかわからないし、泣いたってわめいたってダメ。理不尽な事なんていくらでもあるから、念には念を入れて・・「自己責任で身を守る」しかないのです。
そんな危機管理の日常は、とにかく気が休まらない。日本にいると安堵感で肩の力が抜けてくる。安心安全でつくづく”優等生な国”だと感じます。
その社交辞令、やりすぎじゃない?

日本のコンビニやスーパーでは「いらっしゃいませ~♪」「ありがとうございました~♪」と、とても歓迎される。こんなにお客様あつかいをされると当然”いい気分”になる。だが、異国暮らしで疑うことが日常化してしまった”ひねたオバちゃん”は思う。
アニメのキャラクターみたいな声で「いらっしゃいませ~♪」と、いつも変わらずロボットのように繰り返されるが。しかし、そのマスク下の口元は笑っていないよね?だから”熱烈歓迎”されても、疑いの気持ちが湧いてくる訳だな・・。(やはり完全にヒネている、悪魔のようだ)
「ただのマニュアルだから、誰もそんなことは気にしちゃいない」・・のでしょうか。模範対応が求められるから単に演じてるだけで、何の疑問も持たないとしたらすこし寂しい気がする。
「礼儀とは、形だけでなく気持ちを込めることで相手に伝わるもの」です。”おもてなし精神”は日本的で美しい文化だけど、形式だけの「いらっしゃいませ~♪」は、無機質で味気ない。もっと自然体でも良いと思うのですが・・。
うわべだけの社交辞令よりも、”心の底からの笑顔”の方がよほど人の心を動かす。日本は進化の過程で、大事なものをどこかに忘れてきてしまったのだろうか。
不機嫌な人のオモテとウラ

朝のごみ出しで、ご近所さんが見知らぬ新参者に「おはようございますー」「こんにちは!」と声をかけてくれると一日の始まりが清々しい。しかし、道ですれ違うだけの人や車の運転をしている人の中には明らかに”不機嫌な人”が結構います。利害関係のない人間に対しては、無関心で意外に冷たいのだ。
今の日本人は「本音とたて前」「裏と表」の差が大きくなっているのではないかと感じる。実はこれが、帰国後いちばん戸惑ったことなんです。とても親切で感じが良かったのに内心は全然違っていたとか、意地悪な対応に遭遇して心痛める事がしばしばあります。
本音・本心は無意識で無防備な時に透けて見えてしまうので、いくらオバちゃんでも多少のお世辞や虚言くらいはわかります。ところが外側からはまるで想像できないほど、複雑かつ巧妙なのだ。何のために実際と異なる”よい言動”をするのかが、まったく理解ができないのです。
外面と内面が極端に違ったら、自分を見失ってしまうだろうに。何よりも本人の心が辛くなるでしょう。まわりの目を気にして同調し過ぎると、心がカサカサとしてくるでしょう。だからといって人と異なれば仲間外れになったり・・。
ああ、なんて難しい世の中なのか!本当にわけが解らない。きっと日本人はストレスが溜まってるのだろう。もっとのびのびと楽しく生きられる社会であったらいいのに・・と心からそう思う。真面目で優しく、そして優秀で才能あふれた日本人はたくさんいます。それぞれの個性が尊重され、ありのままの自分でいられるような社会であれば、自分を装う必要もないだろう。
21世紀以降、日本だけでなく世界中が大きく変容してきました。それに伴って人も変っていくのは当然のことです。そして今また大きな転換期を迎えているようなので、柔軟でかつ自由な社会になっていくことを願います。



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