バックパッカーはリュックを背負って自由の旅にでる
広い世界を見た「井の中の蛙」が感じるものは?
突然ですが、旅はお好きですか?今回は、若かりし頃「バックパッカー」として海外を旅した話です。旅を通じて見たものや感じたことは、深く心に刻まれいつまでも記憶に残るものです。30年以上も昔の備忘録ではありますが、後の人生に大きな影響を与えたリアルな体験談なのでお付き合い下さい。
「人を育むもの」って何だろう?

知らない土地での異文化体験は、いつもと違う自分を発見したり価値観を変えてしまうほど、とても刺激的です。スマホなんて無い時代の海外旅行は、地図とガイドブックが頼りの「でたとこ勝負」の旅。
或る南半球の国で、その日の宿に向かうため道端で地図を広げていました。すると10歳くらいの白人の男の子が英語で声をかけてきたのです。
『どうしたの?』
『ボクに手伝えることはある?』
『キミの力になるよ!』
(え?聞き間違いじゃないよね・・と目が点になった私)
倍以上も歳を重ねた見知らぬ東洋人に、臆せずに手を差しのべる”小さな紳士”はキラキラと輝いて見えました。そして、その後ろで彼のおばあちゃんらしき人物は「こんな孫を誇りに思います」とでも言いたげに、やさしく微笑んで見守っています。
その堂々とした男の子にも彼を信頼するおばあちゃんにも、自分たちの文化にないものを感じて衝撃を受けました。一体どんな環境で育てば、こんな素敵な紳士に成長するのでしょうか?・・たとえ子供であっても一人の人間としての人格を尊重されて、たくさんの愛を人と関わっていくなかで受けてきたのでしょうね。
私が子供の頃に親や学校から教わったことといったら、協調性や道徳的な躾ではなかったかと記憶します。他の人とかけ離れて違っていたり枠からはみ出すことのない様に、他と調和し共感することが良しとされていた気がします。自立や自我・自己主張などとは程遠い世界でした。
人格形成は、小さな頃からの教育や習慣・文化背景によってされるものでしょうから、いまさら自分探しの旅をしたところで年季が違っているのです。優しくて逞しい小さな紳士は、ちょっと眩しい思い出として強く残っています。

そんな男の子がいるかと思えば、前の方から3人組の少年たちが歩いて来ます。そして、すれ違いざまに”日本人を侮辱する言葉”をはき捨て『チッ!』と舌打ちまでして嘲笑い去って行った。(え?今のは私に対する嫌がらせだったの?)
地域の差はあれど、ほとんどが同一民族である日本で育った私は人種差別に慣れてはいない。胸の痛む感覚と共に、「差別」についてを考えさせられる初めての経験でした。(世界には本当に様々な考えを持った人たちがいると、自分の無知さを改めて思い知ったのです)
日本に住んでいて、それまで意識したことがなかった「ニッポン」という国と「日本人」であること。私達は世界でどんな風に見られているのだろう?自分の存在を客観的に見る機会を得た出来事でした。
多様性を受け入れる「異文化理解」
アジアの或る国を旅した時に、現地で知り合った人の家に招待された。大きな家で使用人もいるので、まあまあの富裕層であるようです。
お茶とお菓子が運ばれてきたので、お手伝いさんにねぎらいの言葉をかけたら主にたしなめられた。日本で何気なく行う”社交辞令的な礼節”のつもりだったのですが、そういう文化が通じなかった様だ。
主曰く、彼ら使用人と「同じ目線に立って話をしてはいけない」のだと言う。例えば食事を共にする事もありえない行動だし、どこかの店に入る時も相応しいかどうかなど、常に階層や階級を意識して生活をしているそうです。それぞれの立場や身分をわきまえて、境界を越えぬ様に暮らしているとのこと。
もっとも、ひと昔前の話しなので現在は少し意識の変化があるかもしれない。感情に左右される差別とは違って生活レベルによってランク分けされ、はっきりと区別される日常というのも何だか切ない気持ちです。(かつてのように「皆が中流」だとは言えなくなった格差広がる日本では、区分けされる社会など来ないことを願います)
その日の出来事によって、宗教や文化風習・思想等は多種多様であるから自分の物差しで計っての軽率な言動は慎むべきと学んで反省をしました。なにせインターネットが普及していない時代の情報源は乏しく、あらゆる無知を経験しながら埋めていく旅だった気がします。(たくさん恥をかいたし失礼も多々あったと思います)

「異文化交流」の社交場
世界中からバックパッカーが集まる安宿は”異文化”を分かち合う社交場です。いろいろな国の人とふれ合い、情報交換をするひと時はとても楽しい時間でした。
或る日、共用のキッチンで朝食を食べながら皆で仲良く談笑をしていました。そして隣に座った白人男性が、目の前のテーブルの上に素足を投げ出したのです。(裸足好きの外国人は、どこでも平気で裸足で歩くのですごく汚れてます)
「えーッ、どういう育ち方してんの~?」「その神経信じられない~」とは言わなかったが、明らかにお行儀が宜しくない。そして周りの人は全く気にする様子もなく話を続けている。
洋画のワンシーンのように足をテーブルに上げる人、何事もなくそれを受け入れている人、そのどちらも私たちとは価値観が違うナと感じる場面でした。(ちなみに外国人は裸もお好きな様で、シャワーの後バスタオル一枚で歩き回る。高級ホテルではお目にかかることのない普段通りの生活をのぞける安宿は、とてもオモシロイ場所でした)
向かい側に座っている欧米人青年は、今でいうチャラい外見とは裏はらにひとり静かに読書中です。その頃の日本で、漫画以外のブ厚い本を読む不良少年など見かけたことがない。
見た目で人を判断してはいけないが、何だかミスマッチで微笑ましくあり、好奇心で”一人旅の目的って何?”などと話しかけてみた。
『あえて一人になる機会を作るための旅をする。若い頃から外の世界を見て学び、自分自身と向き合ってステップアップさせていくんだ』と彼は言った。
先程の”小さな紳士”の様に、幼い時は家庭や学校・地域全体で育まれ、その後には自らの責任で人格形成をしていく。自己理解と自信を深めて自己主張する強さを育てる登竜門みたいなものだ。年齢を問わず自信に満ち溢れている彼らの姿に圧倒されるとともに羨ましくも感じました。
日本人の自己肯定感は諸外国に比べて低いと言われているが、文化的背景が違うのだからそれぞれ一長一短であるかと思っている。謙虚で誠実な日本人の美徳とは違ったアグレッシブな人生の向き合い方があるということを知ったのです。

「一期一会」の時を忘れない
旅をしていると、感動的な出来事や新たな発見で心動かされたり「一期一会」の出会いがあったりとドラマチックなことが起こる。
困難にぶつかった時には、心が折れそうになったりもした。外国では想定外のことが起こっても自分で解決しなければ前に進めない。自分の行くべき道を決めるのは自分であると痛感した。
でもあきらめずに克服することで、今までと違った景色が見えてくる。そして様々なアクシデントを乗り越えていくうちに逞しくなっていく。
嬉しいのは困っていたら助けてくれる人が必らずいることだ。人から受けた優しさは、心細い時にとても身にしみるものです。だから今度は私が誰かを助けられるように「強い人間になるぞ」と自らに誓う。そんな経験が自分を一回り大きくしてくれた気がします。
いつもと違う非日常の環境だから感受性の扉は全開で、好奇心はどんどん広がっていく。世界には、まだまだ知らないことがたくさんあるだろう。今でもチャンスがあったら又、旅をしてみたいと思っています。今の年齢だからこそ感じられるものを、覗いてみたいと思うのです。皆さんもご自分の感性を広げる旅に出かけてみてはいかがでしょうか?



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